バス│西山繭子の「女子力って何ですか?」

西山繭子の「女子力って何ですか?」

Writer

西山繭子

#271

バス

2025-07-28 11:13:00

 前回のコラムを読んだ友人から「これだけ続いていて、ネタがつきないのが凄いね」とメールが届きました。物を書くというのは、孤独な作業です。書いているときは、人とつながっている実感がまったくありません。そんななかで、誰かが読んでくれているというのは、すこぶる励みになります。ハチ公バスに揺られながら、有難やあとそのメールを何度も読み返し「でもネタはつきないのではなく、必死で探しているんだよね」と窓の外をぼんやり。さあ次回は何を書こう。そう思っていた時のことです。信号待ちをしていたハチ公バスに何やら異変が。アイドリングストップってこんなに静かになるものだっけ?いや、そもそもここ最近の真夏日ではしていなかったような。そのうち精算機がじゃらじゃらと音を鳴らし始め、他の乗客たちも「おや?」という雰囲気になりました。私は一番後方の座席にいたのですが、そこからでもわかるほどに運転手さんが狼狽えています。何かしらのトラブルが発生したのは明白でした。そして信号は青に。それでもバスはぴくりとも動きません。まあ、なんと!渋谷駅に着く前にハチ公、逝く!そしてネタ降臨!バスは右折レーンの先頭にいたため、後方の車からけたたましくクラクションが鳴り響きます。私は後ろの窓からバツじるしのジェスチャーでもって異変を伝えようと振り返ったのですが、窓が小さすぎてそれも出来ません。この日の東京の最高気温は32℃。エンジンが切れた車内の温度は、みるみるうちに上がっていきました。こういう時に、みんながじっと黙って耐えているところを見ると素晴らしき大和魂、日本人だなあと思います。でも私は、そこに少々ラテンが入っているので陽気に「暑いですよねー。ちょっと窓開けましょうか。えへへ」と隣にいた窓側のお姉さんの方に身を乗り出し、小さな引き窓を開けました。すると前方にいらっしゃった方々も「こっちも開けますね」と続いて窓を開けてくれました。行動するのって大切ですね。そんななかで運転手さんは懸命に復旧を試みていますが、ハチ公はワンともキャンとも言いません。は!電気系統もすべてがダウンしているということは、自動扉も開かないということか!私は幼い頃から物事をやたらとドラマティックに考える癖(へき)があるので、この時にはすでにリュックに入っている水筒の水で何日間生き延びることができるかを考え始めていました。ああ、なぜ私は今日に限って150mlというミニサイズの水筒を持ってきたんだ!いや、それでもこの水は私よりも弱い子どもや老人に譲るべきであろう。ああ、お母さん。女手一つで私を育ててくれてありがとう。娘は己の命と引き替えに人を救ったと、どうか悲しまずに誇りに思ってください。母宛に手紙の一つでも残そうかと考えていたその時、窓の外から「どうしました?大丈夫ですか?」と1人の青年が運転手さんに向かって声をかけてきました。交差点の真ん中で「じゃまだ、じゃまだ」とクラクションを鳴らされまくっていた忠犬ハチ公に手を差しのべてくれた救世主。バスのトラブルだけに、私の目にはもう彼がキアヌ・リーブスにしか見えません。事情を知ったキアヌは自分の車から三角停止板を持ってきて「ひとまずこれを置きますけど、警察に電話をして交通誘導をお願いしましょう」と。そして「ドアの開閉のレバーってどこにあります?」「こちらの信号が青になったら皆さんに降りてもらいましょう」とテキパキ。彼のその行動力と判断力に思わず「結婚してください!」と叫びたくなりました。彼はタクシーの運転手さんだったようで「僕、10時に迎えがあるのであと5分ぐらいしかお手伝いできないんですけど、それまで後ろで誘導してますね」と。行動力に判断力、そのうえ思いやりまで!なんと素晴らしい青年なのでしょう。ますます「結婚してください!」だわ。とはいえ、誘導しているキアヌにプロポーズをしていたら会社に遅刻をしてしまう。私のモットーは無遅刻定時退社。ということで、泣く泣く会社に猛ダッシュで向かったわけですが、彼の素晴らしい行動に私はとても幸せな気持ちになりました。バスを降りる時、運転手さんが「乗車賃を郵送で返金しますので営業所に連絡をしてください」と言いました。乗車賃は100円なので別に良いのですが、散歩がてら営業所にもらいに行こうかな、それだと郵送代もかからないしと考えていたら営業所は渋谷区にはないようで、歩いたら50分、電車で行ったら往復690円ということがわかりました。その昔、漫画『白鳥麗子でございます!』で麗子がスーパーの特売のためにタクシーを使う場面があったなあ。まあ、今回の100円は幸せ代ということで。写真はバスつながりでハノイの観光用2階建てバスです。2階に座ると眺めは良いのですが、飛び出た街路樹に激突しそうになる危険ポイントがいくつかあったので注意が必要です。

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2025.7.28 配信

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西山繭子さんINFORMATION

日本の女優、作家。東京都出身。
大学在学中の1997年、UHA味覚糖「おさつどきっ」のCMでデビュー。
テレビドラマを始め、女優として活動。
最近は小説やテレビドラマの脚本執筆など、活動の幅を広げている。
著書に『色鉛筆専門店』『しょーとほーぷ』『ワクちん』『バンクーバーの朝日』などがある。

オフィシャルサイト→FLaMme official website